酒蔵のご紹介

酒蔵のご紹介

当社の歴史と、酒造りに至った経緯

当社は文化4年(1807)当時秋田藩御用達商人であった那波三郎右衛門裕生が、藩主佐竹義和候の命により、藩の軽輩、小禄者の内職の道を開くために、桑樹が自然山林に生殖していることに着目して蚕糸織絹の業を試み、また藩命によって酒造方御試所(今の醸造試験場のようなもの)を設けたことに始まります。
裕生は絹方の支配人となり機業場を建築し父子3代に亘って盛衰を繰り返し、私費を投じて織立法を工夫し今日の秋田織を創出しました。

さらに明治4年に酒造方御試所の経験に基づき、文政13(1830)以来居を構えた大町川畔に本店及び直売所を設け、土崎の地に酒造業を起こし引き続き醤油味噌の醸造を始めました。
大正5年に呉服太物業を始めることになり本店隣に呉服店舗を新築すると主に、既存の酒、醤油味噌醸造業等の販売もあわせて承継し、法人経営として資本金10万円をもって株式会社那波商店を設立いたしました。

当時としては世人に先駆けての法人経営に切り替えたことは画期的なことでした。
また升屋という商号ですが、武家の出であった初代裕恵(1532~1596)が播州赤穂郡那波浦で商業に従業し、二代友悦(1582~1640)が京都に進出し、三代久誠(1645~1694)が屋号を升屋としたことが始まりです。また升屋は播州の郡名でもありました。 つまり当社の創業は400数年前に翻ると申しても失当ではないかもしれません。

那波商店最大の遺産は、花岡正庸設計によって昭和3年に完成したコンクリート造りの蔵です。
最新の精米機を備え、洗った大桶を屋上に吊り上げて乾燥させるウィンチを取り付けました。当時は土蔵と水車の精米と人力に頼っていたのが大半の酒蔵でしたので、羨望の的となり県内外から多くの見物客を集めたものでした。今なき「花岡先生の部屋」で休む暇もなく指導された秋田流酒造法は後世まで連綿と伝えられるでしょう。


東北初のコンクリート酒造庫

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現在の酒蔵は昭和二年~三年(1927~28年)に建てられました。東北初(国内で4番目)の鉄筋コンクリート造りの構造です。
蔵の設計プロデュースに秋田県醸造試験場初代場長・花岡正庸先生が携わり、設計建築は大阪の竹中組(現在の竹中工務店)が行いました。


建物は二階建てになってますが、屋上に出るための階段室ならびに道具類を上げる上屋があり、その部分が塔屋となって三階部分となってます。

二階建てといっても各階の天井がきわめて高く、二層ほどの高さがあるので住宅と比較すると四階建ての高さのある蔵です。

各階が広いのは花岡先生の、『仕込庫では単に広さや壁の厚さのみならず、庫の建方の高さによって室温調節を図るべきである。庫の高さの低い事は外気の影響を強からしむるものである。即ち庫の立方積が多ければ多い程に外気の影響が少ないのである。』という醸造理念を忠実に再現したものです。

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米をコンベアー(エレベータ)で二階に上げ洗米から蒸場、製麹、酛製造、醪製造を行い熟成醪は落差で階下に下ろし槽掛け地階に貯蔵する重力落下式のシステム。
木造蔵では不可能だったシステムを立体式ではじめて可能にした構造です。

現在は酛場を仕切り、槽場(薮田式自動機)に改築、しぼったお酒を階下におろし貯蔵しております。

内部のほとんどの箇所はコンクリートの打ちっぱなし状態で貯蔵庫および仕込庫は白い塗装が施されてます。
蔵の階段廻りには人造研ぎ出し仕上げが施されていてきれいな石造りのような階段になっています。細部にモダンなデザインや造りが隠れ見える酒蔵です。

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